医師紹介

理事長 西 健

精神科・心療内科とは『心』の治療をする科と考えて良いと思います。そして『心』は医学的には『脳』にあります。
『脳』に『心』があるのは間違いないでしょう。でも・・医学的ではないですが胸のあたりに『こころ』という架空の臓器がないでしょうか?私はあると思ってます。私にとってそれは『心』ではなく『こころ』と平仮名のイメージです。
医学的には物を考えるのは『脳』です。精神科薬は全て『脳』=『心』に作用する薬です。精神科薬は『心』に作用するといってもいいと思います。この部分に関しては診療内容として詳しく説明しています。
しかし胸の辺りにある『こころ』には薬は効きません。『こころ』の病気の場合はご本人の環境を改善したり、考え方を変えていただいたり・・が必要です。これは病気・・・ではないかもしれません。ご本人の性格・性質・個性であったりもします。ただ・・・ご本人が困っているため改善が必要というだけかもしれません。
また『こころ』の治療は主治医との相性がキモとなる部分です。
疾患によっては『心』の治療が主となるものもあります。でも疾患によっては『こころ』の治療が主となる場合もあります。
医学的に重症なのは『心』の病気なのですが治りにくいのは『こころ』の病気・・『こころ』の不調です。
精神科医として『心』の治療(薬物療法)ができるのは当然です。むしろ医師免許が必要なのはこの部分のみと言っても良いでしょう。
しかし人間には『こころ』があると思います。『こころ』をも改善できる診療所になることを目指して【こころの診療所】と名づけました。
理事長 西 健
理事長 西 健

プロフィール

学歴
1993年4月
大阪大学工学部入学
1996年3月
同 退学
1996年4月
和歌山県立医科大学 医学部医学科入学
2002年3月 同 卒業
職歴
2004年4月 和歌山県立こころの医療センター 精神科勤務
2007年3月
同 退職
2007年4月
牧和会 牧病院 精神科勤務
2014年10月 同 退職
2014年11月 にしこころの診療所 開業
現在に至る
資格
精神保健指定医
日本精神神経学会専門医
日本医師会認定産業医
理事長 西 健
大阪生まれの大阪育ちです。大阪といっても南のほうの岸和田市の更に南の貝塚市って所で幼少期を過ごしました。
実は兄がいたのですが僕が生まれる前に腸重積で亡くなってます。親は次の子は健康になるようにと「健」と言う名を私につけたそうです。ところが名前に反して本当に身体の弱い子供でした。すぐに高熱を出して熱性けいれんを起こして小児科に救急搬送・・・そんな子供でした。母によると年に何回もけいれんを起こしたようです。小学校に入ってからは熱性けいれんは少なくなったものの、お腹を下したり熱を出したりで学校を1週間以上も休むことの多い子供でした。そんな苦しい自分を助けてくれる場所が病院でした。薬や注射も自分を楽にしてくれるものと考えてましたので大好きでした。いきつけの小児科の先生は無愛想なハゲ頭の先生でしたがカッコ良く見えたものでした。だからでしょうか小学校の卒業アルバムにはなりたい職業に「お医者さん」と書いています。
その後、興味は医学とは全くかけ離れます。中学校卒業文集のなりたいものには「漫画家」と書いてあります。「ロック歌手」「バイク屋」なんかも目指していました。
高校は楽しく過ごしましたが勉強は全くしませんでした。その頃の彼女が医学部を目指していたのでなんとなく自分も医学部もいいかなぁと思っていました。
しかし高校を卒業し、浪人して大学に入学しましたが医学部ではなく工学部でした。なんとなく理系が得意だったからという理由で選んだ学部でしたが、今思えば医学部の授業よりも面白かったと思います。建築系だったのですが建築士はもしかしたら医者より向いていたのでは?と今でも思うことがあります。
ところが人生分からないもんです。工学部での親友が医学部の再受験を考えていたこと、かわいがってくれた先生が医学博士であったことなどから工学部にいながらにして医学部への進学意欲が高まりました。
卒業の単位も取ってあとは卒論だけとなってました。バブルの最後の方なので就職も何の苦労もなく教授の推薦してくれた大手企業に決まってました。とんとん拍子ではあったものの、なんとなくこのまま社会人になるのは違うなって思ってました。
この頃はバイトで予備校の講師をしたり家庭教師をしていたので受験能力は大学入学時より格段に高くなっていました。人に教えると学力は高まるものです。
そこで試しに医学部を受験!!・・・これは落ちました(笑)。そして後期で他大学の医学部を受験したら・・・合格してしまいましたので医学部入学となりました。
就職も決まって、卒業単位もそろえていたのを全て蹴っての再入学です。親は大激怒しました。
最初は脳神経外科医に興味を持って医学部に入学しました。医学部は6年あるのですが5年生の病院実習で「脳外科は手術も長引くし、夜間もいつ呼び出されてもおかしくない」と話す脳外科医の言葉で脳外科医を断念しました。
幼い頃、母の帰りが遅いのが寂しくてたまりませんでした。今の父と再婚するまでは母が一人で私と弟を育ててくれてました。だから帰りが遅くなるのは仕方なかったのだと思います。でも寂しかったのは事実です。この頃はまだ結婚もしていませんでしたが、家庭を犠牲にしたくないとの思いから脳外科医を断念しました。
卒業して医師になると研修医としていくつかの科を研修します。脳外科医を断念し、興味のある科もなかったので本当に適当な理由で選んだのが精神科でした。
適当な理由で選んだ科からのスタートでしたが精神科の教科書を見て驚きました。おそらくどの科よりも複雑で難しい内容だったからです。理由は簡単・・・精神ってものがまだまだ分かってない(現在でも)からです。
また、わずかに分かりはじめている部分は「脳」の部分です。脳外科医を目指していた自分の興味とも合致してました。半年間の精神科研修でした。その次には一般救急内科を研修しましたが内科を「精神科」的に診る自分がいました。この時点で「自分は精神科医になるんやな」と思ってました。そして皮膚科や救急科を研修したあと精神科医として「和歌山県立こころの医療センター」に配属されました。
「こころの医療センター」名前こそソフトですがかなりハードな病院です。和歌山県の精神科救急の中心的な病院です。大暴れして民間病院では対応できない患者様はこの病院に集まってきます。急性期病棟はスタッフ全員が体格の良い男性のみということからもそのハードさが分かっていただけるかと思います。研修が終わったばかりの医師3年目で突然このようなハードな病院への配置は苦しかったですが、今の自分を作ってくれた場所だと思ってます。そのためか3年しか勤務してませんがその数倍勤務していたような気がしています。クリニックの名前の「こころ」はこの病院名から(勝手に)いただきました(笑)。
そして訳あって何の縁もない福岡で勤務することになりました。ここらへんは話が長くなるので診察の合間にお尋ねください。
選んだ勤務先は民間精神科病院の「牧病院」、地域の認知症センターです。先の「こころの医療センター」ではハードな患者様は多数診てきましたが高齢者の認知症はほとんど診たことがありませんでした。牧病院では高齢者との関わり方を学ばせていただきました。随分と居心地の良い、働きやすい病院でした。気づけば7年6ヶ月と長期勤務になっていました。
その数年前から、自分は入院業務より外来業務が向いていると感じ始めました。しかし、病院は入院業務が主で、外来業務は週2回午前中のみでした。患者様も増えてパンク状態で、待ち時間が2時間を超えることもありました。そこで40歳も過ぎて「踏み出すなら今だ」と思い、毎日が外来業務であるクリニック開業に踏み出すこととしました。